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「世の中は思い通りにならない!危険だし何が起こるかわからない!!」 と下を向くのではなくて、 「世の中は思い通りならないから面白い!さて次はどの手でいこうか!!」 オセロの石をひとつずつ返すように「無知をどれだけ知に変えるか」で私達の道は決まる。 さぁ、一緒に天に宝を積む生活をはじめてみませんか?
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ごきげんよう、モナcoです(^-^)
「宿命=生まれる前に決まっているカリキュラムのこと(性別、生まれる場所等)」には
「寿命」も含まれています。
絵空事のように思うかもしれませんが、
寿命はすでに決まっていて、生まれた時には
いつまで生きれるかという記憶は薄れ無くなります。
なぜ、薄れ無くなるのかというと、
「自分は〇〇歳に死ぬことになっているから、あと〇年だ」
と思いながら日々生活しているとまったく味気ない人生、つまり
生きている喜怒哀楽をしっかりと味わうことができなくなってしまいます。
これでは「生きている」本当の意味がありません。
脅かすような内容かもしれませんが、
「今日、明日に自分や大事な方の命が終わってしまうかもしれない。」
当たり前のように「明日がくる」とは限らないということなのです。
昔のテレビで「天国からの手紙」という番組がありました。
これはスピリチュアリストの江原啓之さんが突然の不幸で亡くなった方の思いを
家族に伝えるという番組。
感動で涙もののお話ばかりです。
思いを残した魂が成仏できないままでいる、
その思いを江原氏が家族に伝え、成仏させるのです。
ですから、勘違いしてほしくないことは
霊=オカルトチックな内容では全くないというところ。
幽霊の絡んだ映画で恐怖を煽るような内容は人々を惹きつける為の演出にすぎません。
幽霊として出て来る場合は、ほぼ何かしらの思いを残したままで、
誰かにわかってほしいからなのです。
番組で放送された事案すべてに共通することは
「当たり前のように明日は来るはずだった」というところ。
こんなことと思うかもしれませんが、
前述したように「寿命」は決まっているのです。
ですから「明日は来ないかもしれないと思いながら精一杯1日を過ごす」
このことを胸に刻んでいただきたい。
モナcoもその思いで日々過ごしています。
できるだけ伝えたいことは伝えておく(このブログもそうです)
おこなっておきたいことはするように心がけています。
もし、自分の命がどんな終わり方をするにせよ、
急に自分が亡くなってしまっても大事な家族が困らないように
「エンディングノート」も作成する予定です。
1日の締めくくりには「お陰様で無事1日過ごすことができました。」などと
呟くのも良いですね。
どうしても現世は物質的な世界ですから「長生きが良い」
という考え方に傾いてしまいます。
ですが、
どれだけ生きたかではなく、どれだけ込めたか
この心持ちが重要になるのです。
今日から1日1日をただなんとなく過ごすより、
込めた1日を一人でも多くの方に過ごしていただきたいものです。
「あかきこころ」のモナcoでした。
まとめ

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「自然=神」そのものです。
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