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「世の中は思い通りにならない!危険だし何が起こるかわからない!!」 と下を向くのではなくて、 「世の中は思い通りならないから面白い!さて次はどの手でいこうか!!」 オセロの石をひとつずつ返すように「無知をどれだけ知に変えるか」で私達の道は決まる。 さぁ、一緒に天に宝を積む生活をはじめてみませんか?
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ごきげんよう、モナcoです(๑˃̵ᴗ˂̵)v
さて、タイトルにもあります「転ぶ権利」とは
一体どういうことなのでしょうか?
ここでみなさんに質問です。
「私達はなぜこの現世に生まれてきたのでしょうか?」
実は「転ぶ為に生まれてきた」のです。
では、どう言うことなのか?
私達はまだまだ完璧な存在ではありません。
心(たましい)は未熟な部分が多々あります。
その未熟な部分を成長させる為に生まれてきているのです。
人と人との摩擦によって私達の未熟な部分は曝け出され、
切磋琢磨して向上していくのです。
友人、勤め先の人、家族、親子どんな間柄であっても相手がいる限り、
何かしらの摩擦は起きます。
その時が自分自身を向上させるチャンス!なのです。
意見の衝突で感情のままに怒りを出してしまった、
心無いことをつい言ってしまい相手を傷つけてしまった、
また逆に傷ついてしまった、嫉妬、恨み、妬み・・・などなど。
常に私達の中には「理性と感情」があります。
「感情」での言動は気持ちがヒートアップしているので
つい涙目でものを見てしまいます、そうすると正しい判断が鈍ってしまいます。
涙を拭った目(理性)で見聞きし、
それから自分のアクション起こさなければいけませんが、
先ほども申し上げたように私達はそもそも「未熟」なので、
間違えはどんな人でも起こしてしまうのです。
家庭の小さな世界から広域な国と国同士であってもです。
ですから事が起こった(転んだ)後が大事。
誹謗中傷を受けたとしても100%自分は悪くないとは言い切れないということ。
自分にも何かしらの間違えはあるはずなのです。
起きたことに対して分析、反省せずにそのままにしてしまうと、
面白いことにまた同じ事が繰り返されます。
また転ばせます。
そう、神様は気づくまで何回も同じシチュエーションを与えるのです。
学校で先生が解けるまで同じ問題を出し続けているようなものなのです。
「あっ、そうか!!」と気づけば
この問題はクリアとなり、また別の問題が出されていきます。
ですから、よく親御さんに多いのですが、
子供がかわいそうな思いをしないようにと、
目の前の石を全部拾ってあげてしまう親がいますが、
これは本当に間違え。
親としての気持ちはわかりますが、これこそ
「転ぶ権利」を奪ってはいけません。
転んで、考えて、答えを出して前に進んでいく。
親は見守りで十分、本当に必要な時だけ手を差し伸べる。
親の人生ではなく、子供の人生なのですから
力強く生きていくチカラをつけさせるのが親(大人)の役目なのです。
何も無い人生は味気ない。
一人でも多くこのことに気づき、
果敢に問題に立ち向かい存分に人生を謳歌していただきたい。
「あかきこころ」モナcoでした。
まとめ

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「自然=神」そのものです。
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